このナインにできないことは何もないんだ

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このナインにできないことは何もないんだ

ナインのメンバーは互いに呼び捨て合い、大人たちも他家の子どもを平気で呼び捨てていたのだが、そこで培われ、育まれた絆の強さは、名作となって残るほどに本物なのだ。

「口にしたくない」と言いながら、中村さんはかなり能弁にこれらを話すのだが、この正太郎の悪行を警察沙汰にしようとするとナインの誰もがそれを拒み、阻むのだと付け加えた。

さて、この考察はいまだ十分にこなれておらず、授業でも曖昧にしたまま通り過ぎているのですが、時代を越えてこのような問いを繰り返し生み出せる作品こそが、教材としての「読みの可能性」を秘めているのであり、私が当初の考えを改めて、『ナイン』は授業で扱う価値が高いと考えるようになった理由でもあるのです。

正太郎によって生み出された「日蔭」は、ナインたちに結ばれたゆるぎない「信頼」や、彼らが力強く生きていくための「自信」を象徴すると考えられます。「自分たちは日蔭なぞあり得ないところに、ちゃんと日陰を作ったんだぞ。このナインにできないことは何もないんだ。」という英夫の言葉から、それを類推していくことができるでしょう。言うまでもなく、「西日」は「日陰」を生み出すために前提となるもの。彼らの「信頼」と「自信」は地域のコミュニティーに支えられて育った正太郎はじめナインたちが生み出した。つまり、「西日」は「ささやかにではあるが、しっかりと自給自足」して「小路全体に自信のようなものがみなぎっていた」新道商店街に根付いていたコミュニティーとしての力を象徴するのであり、その「西日」が差さなくなるのですから、ナインたちのような「信頼」「自信」を持った青年を育てるコミュニティーとしての力が失われてしまったことを暗示する文だと判断して良いでしょう。

筆者と思しき放送業界の仕事をする語り手「わたし」は、18年前に3年間ほど2階を住居として借りていた東京四谷は新道にある畳屋の仕事場に立ち寄る。畳屋の主人である「中村さん」に迎えられ、懐かしい話を聞いているうちに、当時、西東京少年野球大会で準優勝した新道少年野球団のことに話が及ぶ。そこで、すでにほとんどが新道を離れ、30歳になったナインたちの意外な現在、中でも主将だった正太郎が寸借詐欺師に身を落とす残念な姿を知ることになる。やがて、当時ピッチャーだった中村さんの長男で、今は父親の後を継いで畳職人になった「英夫くん」に話し相手が変わる。「英夫くん」は正太郎を責めることのない英雄たちに理解を示そうとする語り手「わたし」に対し、正太郎が今でも自分たちのキャップテンとして生きていること、それはあの体験をした仲間たちにしか決して理解できないことだと強く抗議する。そして、彼が語ったのは、18年前の夏、9人ちょうどのぎりぎりのメンバーで戦う決勝戦、たった一人のピッチャーだった自分を休ませるために、日陰のない3塁側ベンチで、照りつける真夏の西日を自らの背中で遮り、日陰を生み出した正太郎の姿だった。

ヒントを「父にもわかりません。父は土手の木陰で試合を見ていただけですから。」に求めてみます。「土手の木陰」に対置する場所は、ナインが日陰を生み出した場所、つまり「日陰なぞあり得ないところ」でしょう。この「日陰」を「コミュニティー」と置き換えて考えてみたらどうでしょうか。父親世代の中村さんは既存のコミュニティーの中にあってナインを見守ってきました。しかし、今は既に機能しなくなったコミュニティーの中で、昔を懐かしむだけの存在。一方、英夫たちはそのコミュニティーに支えられ、「日陰なぞあり得ないところにちゃんと」日蔭を作り出すポテンシャルを獲得したうえで、今もコミュニティーの失われた世界で必死に戦っています。1984年の時点で31歳になった彼らは、まだ1966年の試合の続きを戦っているということです。それが、「正太郎を信じる」ことの本質であり、外部から来て「日陰」を通り過ぎて行っただけの語り手「わたし」はもちろんのこと、すでに戦うことをやめてしまった中村さんにも、決して理解できるはずのない真実なのです。「今」戦うことの苦しみを、外部から「過去」の表層だけを見て「分かるような気」になられても、不愉快なだけではないでしょうか。

これは、あくまで「こんな風に進めたい」という理想形です。実際には理想通りにいかない場合の方が多いですし、課題や問題点も少なくありません。しかし、『ナイン』という教材がこんな風に扱える可能性を秘めている、そう思いながら授業に向かうのはとても楽しいことです。そんな意味でも、この作品の教材としての「読みの可能性」はまだまだ広がりそうです。

中村さんは「わたし」に準優勝を遂げたナインの「その後の消息」を告げる中で、明彦、洋一、誠などの全ての名前を「呼び捨て」にしている。この話の中での人物はすでに30歳の社会人になっている。だから話し相手の「わたし」は全てに「くん」をつけている。これが普通の呼び方であり、現在はそれが当然であろう。よその家の30歳にもなった人の名を、子どもの頃の話の中に登場させるにしても「君」をつけるのが常識あるいはマナーである。呼び捨てにはすまいし、したら失礼だろう。だがこの中村さんと「わたし」とのお喋りはごく自然に和やかに進んでいる。

小説『ナイン』は1983年から1985年にかけて雑誌『IN・POCKET』に掲載された短編小説をまとめて単行本化し、1987年に講談社より刊行された短編小説集です。その表題作『ナイン』は、高等学校の現代文教科書に掲載される定番小説としておなじみの作品です。

同じようなできごとや場面が、平成、令和の現代にそっくりあったとしても、その言葉遣いはかなり違ってくるのではないか。学校の教員がクラスの子どもを誠、恵子などと呼び捨てにすることが今の時代に許されるだろうか。恐らくそれは否であろう。だが、子どもは先生のことを陰では呼び捨てにしているかもしれない。また、今の大人はよその子を呼ぶ時には必ず「さん」とか「ちゃん」とか「君」とかと敬称をつけるのが普通だろう。ところが、中村さんは自分の子どもの同学年のナインを全て呼び捨てで呼んでいる。

と答える。──簡単に言うと正太郎の「その後の消息」には良くないことばかりなのだ。友達を頼って寸借詐欺をしたり、大金を騙し取ったり、果てはナインの左翼の常雄が経営する自動車学校に頼みこんで就職するが大金を盗み出し、おまけにその妻君まで連れ出して姿を消すという始末なのだ。

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